代表・井崎信豊の意外な職歴から、エヌピアの設立に至るまで

これまでの職歴において印象深かった出来事を、どのようなことでもいいのでお聞かせいただけますか?
店舗専属のDJをしていた頃、「他店と差別化した店作り」と「常連客獲得」を目指して日々模索し、自分なりのDJスタイルを全面に出したライブプレイをしていました。
しかし店側からは、万人受けする曲を中心にオンエアするように言われ、自分考え方を否定されたように感じて辛い時期がありました。
また、音響・照明のプランニング会社で働いていた頃に、メインとなる機材を誤発注してしまい、前日のリハーサルから本番開始直前までバタバタしてしまったときは本当に焦りました。
DJのお仕事をされていたのですね。きっかけは何だったのでしょうか?
中学生時代、お昼休みの放送担当でレンタルレコード屋で借りたレコードを流していました。
聖子ちゃんやマイケル・ジャクソンが流行っていた頃ですが、僕はコアなUSポップスが好きで、よく流していたのです。それに反応してくれた同級生が「あの曲なに?」と聞いてくれたのが嬉しくて、どんどんのめりこみ、色んなジャンルの音楽を探っては聞くようになりました。
その後、渋谷にあるディスコに通うようになり、高校を卒業後DJ見習いとして修業をし、19歳のときに六本木でDJデビューしました。
聞いたことのない音楽に反応して、人の動きがウェーブになる。その場で「ノル」ことのウェーブ、「この曲なに?」と興味を持つウェーブ。そのようにひろがっていく様をライブで感じられて、とても面白かったですね。
当時の経験は、現在にどのような影響をもたらしていると思いますか?
自分の考えよりも、まずはお客様の要望を最優先しようと考えられる様になりました。
清掃業界へ入るのには、どのような経緯があったのでしょうか?
鈴木ビルメンテナンス(SBM)を紹介してくれたのは、SBM時代に一緒に切磋琢磨していた部長の鈴木さんでした。
彼は伝説のMaharajaのDJを務めていて、昼はビルメン、夜はDJというスタイルがあの当時は凄く珍しかったですね。鈴木さんはビルメンの仕事をしながら、「色んな業界の人で集まって新しいことをやりたい」ということを常に考えている人でした。
僕もその点にとても共感していたので、自分の音響チームが解散することになったとき、真っ先に鈴木さんに相談しました。そしてSBMに入社しました。
仕事へのモチベーションが上がるのはどの様なときですか?
やはり難しい課題に直面した際に、これをどう乗り切るかを考え始めるときですね。
ピンチをチャンスに、の精神です。
「働きかたの理想」をお聞かせください。
とてもシンプルなのですが、ひとつひとつの業務に誠実に向き合いながら、身体に無理を強いずに、希望に合った収入と、趣味・プライベートの時間を十分に得ることを目標としています。
最後に、エヌピア設立に至る思いをお聞かせください。
株式会社 SBMplus(旧SBM)に勤務して12年経った頃、鈴木社長から独立のお話をいただきました。
以前より抱いていた「お客様ファーストの会社を作りたい」という思いを実現する、このまたとないチャンスに起業を決意した次第です。12年間の実務経験を活かし、日々邁進して参ります。

(当冊子制作担当者からのインタビューに答える形で構成しています)